みつるの読書部屋

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『日曜日の万年筆』(池波正太郎/新潮文庫) ― 池波正太郎になりたい

もちろんなれません。

が、タイトルは『日曜日の万年筆』(池波正太郎/新潮文庫)を読んで率直に思ったことだった。

池波正太郎先生の一日

本書の、「私の一日」という編に池波先生の一日の過ごし方が書かれている。ざっくり言うと、昼前頃起床、散歩or映画の試写会などに出かけ、帰宅後来客対応、夕食後一眠り、目覚めてからは手紙やゲラ刷りのチェック、23時頃入浴、その前にストーリーが浮かべば少しでも書き、入浴後夜食を取りテレビを見たり調べ物をする。そして1時頃から本格的に書き始め、2時間ほど全力集中する。その後お酒を飲み5時頃就寝。

 

ざっとそんな感じだ。

間違っても楽そうだからなどと思ったわけではない。深夜の全力集中のために昼間出先などでストーリーを頭のなかで練っているのだから。いつもいつもスラスラ書けるわけではないだろうし、常に産みの苦しみがつきまとっているだろう。

 

私がいいなと思ったのは、夕寝をされているところだ。長年の作家生活の中で出来た生活リズムで、これが書かれたのは50歳頃のようだから、その時の年齢(身体)に合わせたことなのだろう。

しかし、勤め人にはなかなか出来ることではない。作家…今で言うところのフリーランスという働き方だからこそ可能な事だ。

 

私は体調面の問題から、ここのところ夕寝を挟んでいる。だからといってフリーランスというわけではないが、今のリズムが身体に合っているため、フルタイム労働には踏み切れずにいる。

 

これが本書を読んだ一番強い感想だが、何も池波先生の一日だけで一冊終わるわけではない。

このエッセイ集は、仕事や休日、新国劇の脚本家時代のこと、子供の頃のエピソードや映画についてなど多岐に渡っている。

当時の社会問題も

そして、さり気なく社会問題についても触れている。

老人たちは孤立し、新しい家庭はコンクリートの高層マンションの中の密室でいとなまれる。

子供たちは学業に追いまくられ、親は、我子の学業と新しい住居を獲得するために、壮年から中年に至る、男として最も大事な期間を、時間的にも経済的にも充実させることができなくなった。
大人の世界が充実しない世の中が、子供の不幸を生むのは当然なのである。

 

そして、印象深かったのが、スリーマイル島原発事故の頃書かれたであろう一文だ。

今年に入って、アメリカの原子炉の故障が全世界に衝撃をあたえたが、この秋に日本で封切られるアメリカ映画[チャイナ・シンドローム]が制作されたのは、いうまでもなく、それ以前のことだ。
期せずして、この映画で採りあげたテーマが現実のものとして、人間たちの眼前にあらわれたことになる。

もしも池波先生が2011年におられたら、何を思われただろうか…。

太平洋戦争をくぐり抜けてきた世代だから、いろんな悲しみや絶望を超えてこられたと思う。だからこそ、

人間という生きものは、苦悩・悲嘆・絶望の最中にあっても、そこへ、熱い味噌汁が出て来て一口すすりこみ、
(あ、うまい)
と、感じるとき、われ知らず微笑が浮かび、生き甲斐をおぼえるようにできている。
大事なのは、人間の躰にそなわった、その感覚を存続させて行くことだと私はおもう。

 

と、今も言われるのではないか。私はそう思った。

日曜日の万年筆 (新潮文庫)

日曜日の万年筆 (新潮文庫)

 

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目次
私の休日/初芝居/新国劇と私(上)/新国劇と私(下)/収支の感覚/私の仕事(上)/私の仕事(下)/私の一日/真田幸村の隠し湯/木靴とウエディング/子供のころ(上)/子供のころ(下)/たいめいけん主人(上)/たいめいけん主人(下)/新橋演舞場(上)/新橋演舞場(下)/蕎麦/天麩羅/野球/消火剤(上)/消火剤(下)/絵を描くたのしみ(上)/絵を描くたのしみ(下)/炎天好日/一匹のイワシ/私の夏(上)/私の夏(中)/私の夏(下)/[チャイナ・シンドローム]と[月山]/猫/土俵の人/鮨/酒/忘れぬうちに/勘ちがい/衣について/食について/住について/残心/夢/名前について(上)/名前について(下)/テレビの顔(上)/テレビの顔(下)/脇役(上)/脇役(下)/年の暮れ/私の正月/[花ぶさ]の女主人/試写室にて/初夢