みつるの読書部屋

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『人物叢書 藤原頼長』(橋本義彦/吉川弘文館) ― 悪左府(あくさふ)藤原頼長

こんばんは、扇町みつるです。

昨日の記事に関連して、今日は藤原頼長という人物について少々。

mougibook.hatenablog.com

 

大河ドラマ「平清盛」を見たきっかけ

昨日熱く語った大河ドラマ「平清盛」を見るきっかけとなったのが実はこの藤原頼長なんです。

いや、正確に言うと、もともと藤原頼長を演じた山本耕史さんのファンなので、「平清盛」を見たんですね。そして藤原頼長という人物に魅了された。

こんな流れでした。

 

藤原頼長ってどんな人?

私の下手な説明よりも、Wikiをご覧になってくださいと言ったほうがわかりやすいのかもしれませんが、ざっと。

 

藤原頼長:1120(保安元年)〜1156(保元元年)

関白藤原忠実の次男。父親の忠実が白河上皇といろいろあって失脚してしまい、宇治に引っ込んだときに生まれた子供。母親の身分はちょっと低め。20歳以上離れた兄忠通と姉泰子がいる。こちらは正妻の子供なので、出自面ではちょっとハンデあり。

 

とはいえ、父忠実が40歳過ぎてからの子供だったせいか、めちゃくちゃ溺愛されて育ちました。

さらに、忠実失脚後関白になっていた兄忠通に跡継ぎとなるべく男子がいなかったため、頼長は忠通の養子となった(忠通よりも忠実の意向で)。

そうして頼長は藤原摂関家の男子としてエリートコースを歩み、16歳で内大臣になります。高1で内大臣ですよ。すごいですね。

 

家柄がめちゃくちゃいい、というのもありますが、頼長はめちゃくちゃ勉強熱心でした。政治家というよりも、本当は学者向きだったのかもしれません。

しかし、勉強は出来たけど歌や詩はサッパリでした(本人曰く、「やってやれないことはないけど興味ない」)。とはいったものの、それなりの立場の人間は折々で歌を詠まなければいけません。どうしていたのか、崇徳上皇に代わりに作ってもらったりしていました。

 

悲しい最期

そんなチートをしながらも、29歳で左大臣となり、そろそろ関白も見えてきたかなーと思いきや、そうは問屋が卸しません。

もともと、父忠実の強大なバックアップありきでやってきたのと、兄忠通や当時の治天の君鳥羽上皇の寵姫美福門院との対立で、次第に政界から追い出されてしまいます。

 

そんなこんなの末に保元の乱で崇徳上皇に付き敗北。その敗北も頼長の戦略ミスとも言われていたりして、結局首に流れ矢を受けて負傷。父忠実のいる奈良までどうにかたどり着きますが、面会を断られ失意のうちに最期を迎えます。

 

男色の人

頼長はこの時代の男色の代表者みたいにも言われていますけど、この時代男色は頼長に限らず結構メジャーでいろいろな人が嗜んでいました。

日記に赤裸々なことをいろいろ書いていて、それが残ってしまっているので、そういう扱いになってしまうのもしょうがないのかもしれませんが…。

 

そんな藤原頼長を、大河ドラマ「平清盛」で山本耕史さんが演じました。  

「人物叢書 藤原頼長」

ちなみに、藤原頼長について一冊にまとめられた本として、『人物叢書 藤原頼長』(橋本義彦/吉川弘文館)があります。人物叢書なのでかなり専門的で、書かれたのがかなり前なので古さはありますが、藤原頼長という人物に興味を持たれた方にはオススメです。 

藤原頼長 (人物叢書 新装版)

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