文章における漢字の含有率問題を考える ― どうせやるなら辞書片手に
こんばんは、扇町みつるです。
今宵は読書からちょっと離れた記事です。
離れた、といっても、文章に関することなので少しは関係してるかな。
適度なひらがなで読みやすい文章を
近年、漢字だらけの文章ではなく、適度に開いて(ひらがなにして)読みやすい文章を心がけましょうという風になってきています。
でも、”この文字は開かないといけない”という明確な線引きはありません。文章を書く個人や、メディアなどの団体ごとにある程度決められているといったところでしょう。
ビジネスの場においても、たとえば取引先とのメールなどにおいても、そういう風になっていると思います。
先日は有難う御座いました。
予めご了承下さいます様、宜しくお願い致します。
会社にもよるかもしれませんが、最近はここまで漢字だらけになってしまうとビジネスのメールだとしても少々堅苦しい印象を持たれてしまうのではないでしょうか。
参照サイト↓
それでも漢字を使う人々
このように、出来るだけ漢字を開きましょうという風潮の中、漢字を多用するのはどういった方面の人たちでしょうか。
私の予想を挙げてみます。
・作家:小説などの作品の雰囲気を演出するため。
・中二病の学生:大なり小なり一度は皆さん通ってる?
・ヤンキー:夜露死苦!
・コンプレックスを抱える大人:自分は頭がいいんだと見せるための演出。
思いついたものはこのような感じです。あと、”戦前の軍人を気取りたい軍装レイヤー”など。
作家さんについては、”この作品はこのくらい漢字を入れる”と線引きをした上で執筆するのだと思います。作品によって変わってくるのでしょうね。
ヤンキーの漢字の使い方はちょっと独特なものなのであまりよく分かりませんが、中二病とともに一過性で落ち着くのではないかと思います。
最後の「コンプレックスを〜」は少々厄介ですね。私も身に覚えがあるのですが、自分に自信が無いときはよく漢字を多用していました。
では今は自分に自信があるのかといえば「そうです!」と言えたものでもありません。
ただ、今はそのように演出したとしても、かえって自信のなさを見破られてしまうんだと思い、考えを改めました。
といっても、自分の中のガイドラインが定まっているというわけではありません。今書いているこの文章をざっと読んでみても、ちょっとまだ漢字多いかしらと書きながら感じています。
最終的には個人のポリシー
中二病だろうとヤンキーだろうと、自分に自信がなくて自己演出しているのであろうと、個人の自由です。
読みやすさ云々よりも、それぞれの信念にしたがって書けばいいです。
ただ一つだけ思うのは、どうせ使うならば、しっかりと辞書を引いてキメなよ。ということです。
たとえば、
明日はフォロワーさんと吊るんでイベントに行きます。
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多分これ、意味的には「連るんで」なんでしょうね。
こういうボロが出てしまっているのを見かけると、”頭のいい俺様”や”戦前の軍人っぽさ”を出そうとして化けようとしているのに、しっぽが丸見え状態で哀れに思えます。
どうせやるならトコトンやりなさいよと。
予め調べてきっちりと意味に沿った漢字を使いなさいよと。
私は此の様に思います。
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『散歩のときに何か食べたくなって』(池波正太郎/新潮文庫) ― 古き良き名店ガイド
こんばんは、扇町みつるです。少しお久しぶりになってしまいました。
大嫌いな健康診断があったからです。何とか無事終えました。
さて、『中世史講義』を「東大読書」のやり方で少しずつ読んでいましたが、ちょっと息抜きに『散歩のときに何か食べたくなって』(池波正太郎/新潮文庫)を読みました。
各地の名店ズラリ
池波正太郎は、行きつけの店についてエッセイで結構書いています。これまで読んだものでは、都内の行きつけや大阪・京都などの関西方面が中心でしたが、本書ではそれにとどまらず横浜や名古屋、滋賀、信州など幅広く書かれています。
作家さんて部屋に篭ってずーっと原稿用紙と向き合っているイメージが強かったのですが、池波正太郎は本当に色んな所に出かけていて、それで作品を書き上げるというのは凄いなぁと思いました。
いや、色んな所に出かけるからこそ、刺激を受け作品が生まれる、のかもしれませんね。
江戸時代の残り香
本当に色んな所で色んな店に入っていますが、共通しているのは昔の香りが残っているお店です。
昔から変わらぬ店構えや座敷、横浜だったら異国情緒溢れる店内、そして店員の仕事に対する真摯な姿勢。そういうものが残っているお店が池波正太郎にとっての名店なのでしょう。無論、料理が美味しいのは当然ですが。
このエッセイは私が生まれた頃に書かれたようです。ざっくり言って40年程前になります。その時点で、東京の変貌を嘆いておられました。京都についても、その更に10年程前の段階で”古き良き京都を見られるのは今のうち”と思っていたようです。
変貌のターニングポイントとして東京オリンピックが挙げられています。東京は、関東大震災や戦争で町並みはかなり変わったと思いますが、戦前かろうじて残っていた江戸の香りが戦争でほぼ無くなり、東京オリンピックで江戸時代からあった掘割を埋め立てたりビルを建てたりしたあたりでトドメが刺されたのでしょう。
現在の、ショッピングモールやシネコンが乱立している都内を見たら何と評するでしょうね。
それに近いことが書かれていますので、興味あったらぜひ。
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